初回は「邦楽は純正律」で短いものでしたが、今回の「尺八の歴史考察」長編になりました。
当初の原稿は15分くらいだったのですが、原稿チェックで10数回追加訂正を繰り返し、全然違うものができました。
内容的には、本来「正倉院尺八」「法隆寺尺八」を最初に持ってこなければならなかったのですが、法隆寺尺八を調べていくうちに「聖徳太子が吹かれたとする」には尺八の年代が正倉院御物の百済義慈王から送られた尺八よりも年代が新しいという事でした。それと、「聖徳太子が蘇莫者という曲を吹かれた」とする後世の書物があるのですが、鎌倉時代や江戸時代のもので口伝を書き記したものではないかと怪しんだところです。
朝鮮の編纂した「三国史記」の新羅楽の蘇莫者が記載されているとありました。新羅楽において蘇莫者がいつできたかもわかりません。何しろ「三国史記」は1145年に編纂されたものです。聖徳太子の時代に蘇莫者があったことすら確定しない中で、聖徳太子がその曲を新羅人に習らわなければ吹けないはずで、そんな環境にあったのだろうかという事です。聖徳太子のAD574-622年朝鮮半島では百済・新羅・高麗が戦をしていた時代です。
疑問は尽きませんが、そんな疑問と楽しく過ごせるのも尺八を続けているからだと思っています。