「誰も教えない練習の極意」

20代から尺八を教えてきていますが、私より年齢の若いお弟子さんがいたころは感じなかったのですが、私より年齢が上のお弟子さんを教え始めてから、そのお弟子さんの稽古をして、一定程度までは上達するのですが、途中で伸びが止まってしまっているように思います。特に音については以前よりピッチが下がった吹き方をすることが多くなり、練習をあまりしていないように思います。それと基本的なメリ音、特にツのメリ音が不正確なお弟子さんが多く、都度修正してもらうのですが、そのときはある程度出せても、つぎの稽古日にはまた不正確になっていることが多く、何故だろうといつも思っていました。

最近YOUTUBEで「誰も教えない練習の極意」をUPしました。自分もいつの間にか69歳になっていて認知症なども心配なので、最近、認知症について調べていました。そして、それらがヒントとなり「尺八は毎日練習すること」をもっと深堀して理解し練習してもらえればと一定程度技術を維持またはそれ以上にできるのではないかと動画を作成しました。

今までお弟子さんに「尺八はある程度基礎的なことが身につくまでは毎日練習すること」と言ってきましたが、60歳前の会社に勤めながら稽古に来ていた時はそれなりに練習されて、それなりに吹けていたのですが、退職されてからの吹き方はだんだん鈍ってきていると感じています。おそらく、それは基礎的なことが身についていなかったか、もしくは身についたことが薄れていっているのではないかと考えたからです。

最終的には練習しかありませんが、60歳前の現役の時と定年退職後のでは違った練習方法が必要と考えます。

昨年野球のWBCの試合を観てから、大谷翔平選手の試合のビデオを見ることが多くなりました。大谷選手が素晴らしい成績を残しているのは、基本的な練習メニューをこなし、さらに独自のメニューもこなし、睡眠を十分にとって、私生活でも他の選手とは違って街中を徘徊するようなことはしていないわけです。野球のための生活をしているわけです。

基本的なメニューや独自のメニューは脳内の神経細胞のニューロンとシナプスが他の神経細胞と結合しシナプスの突起も多くなっていることが想像できます。また、体を作るための食事を徹底しているわけですから体の細胞まで管理しています。他の選手より良い結果を出すのは当然のように思います。

尺八では大谷選手のような練習メニュー・独自メニューをこなすような必要性はありませんが、唇や息、耳、指先等の感覚を使って脳内の神経細胞を鍛える練習が必要だと考えます。それが普段の練習でそこに別メニューの練習が加わって尺八の名人と呼ばれる人が存在するのではないかと思います。

 

 

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やっと「四郎管」が鳴り始めた。

四郎管を山口五郎先生より譲受けたのが44年前でした。当初は甲音がきれいな音を出していて、乙音はあまりならなかった曲者でした。そして、大事件が起きました。

その事件というのは露通しが管内で詰まってしまい、露通しを力任せで引っ張ると、内部の漆がバラバラと落ちてきたのです。それから音が思ったように鳴らなくなってしまいました。

これが原因で代用の尺八を使い続け近年に至ります。そして、暇あるごとに補修を試みました。

この尺八は延管で地をあまり使っていないもので、どちらかというと地なし管に近いものです。

Youtubeを始めるようになって、いざ録音してみると雑音が多く今までよりも悩みが多くなりました。そこで、この尺八はほとんど登場しなくなりました。

しかし、演奏会等頻繁にあるのでその都度微調整を繰り返しているうちに、ついに安定した音が鳴り始めました。

乙音も甲音もバランスよく思ったように音が出るようになりました。9月24日の演奏会のための下合わせを8月後半から行っていますが、十分な手応えを覚えています。

ご縁がありましたら、是非生の音を聞きに来てください。

 

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普化宗尺八の長さについて

先日Youtubeに「江戸時代の尺八で本曲を吹く」として2本ほどUPしましたが、ここで使っている尺八については以前にもUPしていて、その長さが1尺8寸でないためいろいろ仮説を立てて調べていました。

尺八の歴史考察でとった手法で各時代の度量衡で1尺8寸の長さを求めいつのものか判別する方法です。

ところが、どうしてもわからないのが江戸時代の尺八と仮定した尺八で、明治初期と思われるもう1管も長さが同じなので製管が誤ったというわけではなさそう。

当初は法燈国師が尺八を吹く奏を人連れて帰国したのが1254年とされることから、中国の宋時代の度量衡に合わせれば答えが出ると思っていたのですが、その時使った資料で1尺が31.2㎝でした。

今回、度量衡について再び調べていたら宋時代の1尺が31.7(31.68)㎝という事が「資治通鑑」の訳書にありこれを用いました。

日本の度量衡でも享保尺(30.4㎝)と当時の曲尺(30.2cm)で2㎜の差があり伊能忠敬が折衷尺として30.3㎝としたという事を知り、不明だった尺八の56.6㎝の長さを無事解決。

①宋時代の1尺8寸=57.024

②享保尺の1尺8寸=54.72

③曲尺の1尺8寸=54.36

④ ②-③=0.36

⑤ ①-④=56.664  → 江戸時代の尺八 56.6cm と符合

つまり、曲尺の長さが短かったことが原因のようです。いつから、曲尺が短かい表示をしていたかは分かりません。中国から尺八が持ち込まれていた時の1尺8寸管の長さは57.2㎝だったという事は確かだと思います。

明治初期に琴古流・都山流とも地塗り尺に改造されました。琴古流の尺八は3孔を狭め、5孔(裏孔)をそれまでの地なし延管よりも上にあげることで本曲と外曲に対応できる楽器を作り上げたと考えられます。

一方の都山流の尺八は普化宗尺八の指孔位置のままは外曲と新曲を意識した地塗りで補正をしたと考えられますが、昨今の楽器宣伝からすれば、かなり西洋音楽との合奏を意識した改良が行われていると考えられます。

古典本曲(琴古流本曲を含む)は地なし延管で吹いたほうが音的には柔らかい音色を出せますが、一方で運指のスピードを上げることができないという欠点があるはずで、三曲合奏には向かないと考えられます。

これ等を考えると古典尺八を吹こうというのであれば2尺管あたりの地なし延べ管が最良かもしれません。

地なし延べ管となれば自分で製管できる範囲にあり地塗り尺八の製管と比べハードルはかなり低くなりますが、最終の調律が課題となるはずです。

普化宗は禅宗の一派に分類されます。いまは普化宗は廃宗となっています。しかし、「吹禅」という言葉はあるようです。その「吹禅」とは尺八を通しての呼吸法の習得なのかもしれません。

 

 

 

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新年あけましておめでとうございます

昨年からYoutubeで琴古流尺八について情報発信を始めました。63歳から始めた造園業もそれなりに忙しく、空き時間を見つけての製作のため不定期である点お詫びしたいと思います。

このYouTubeは邦楽人口が減っているという事に対して、自分ができることは何かないのかとの思いでスタートしています。

邦楽人口といっても特に古曲を演奏される方が少なくなっています。尺八という楽器も5孔尺八から6孔や7孔尺八などの改良尺八を吹かれる方が増えています。これは現代日本の音楽事情が平均律で占められているためでしょう。

学校教育で邦楽が取り入れられても邦楽人口は増えることはないはずです。それは、誰も音律の話をしないからだと思います。

純正律と和律は一致するものではありませんが、YouTube第1回で「邦楽は純正律」としたのは現在の邦楽界で活動を続ける人が平均律の世界へ走らないための防波堤になればと思ったからです。

もちろん邦楽の音律は和律であるという事を広めていかなければならないのでしょう。そういった活動をしてかなければ邦楽の伝承者は消滅してしまうのではないかと危惧します。

今年は昨年よりもそういったことを理解していただけるように情報発信していきたいと思います。

 

 

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荒城の月と根音

先日YouTubeに「荒城の月」をUPしました。

滝廉太郎が作曲したロ短調の「荒城の月」は大正時代山田耕作氏によって編曲されニ短調になっているという情報を基に原曲はこんな感じになるはずと演奏してみました。

ニ短調であれば1尺八寸管で吹けるので、尺八の初心者用教則本では琴古流、都山流を問わずニ短調の楽譜を採用しています。

ロ短調となれば2尺1寸管を用いて吹けば移調できます。

さて、2尺1寸管で吹奏した感想はロ短調のほうが「荒城の月」の味わいを出せると感じました。そもそも論になりますが、ロ短調の根音になるのは「B」で暗いイメージです。昔栄華を誇った城も城主もいなくなり荒れているわけで、過去を偲ぶ歌詞にはうってつけだと思います。

山田流筝曲に「秋風の曲」という曲があります。以前この曲を2尺管で合奏をお願いしたら、2尺1寸で演奏してくださいと注文がありました。作曲者が意図したのは「わびしさ」を表す根音「B」だったようです。

これと似たようなことが前にもあり、普段1尺8寸管で演奏していた曲ですが、合奏勉強会で1尺9寸管で演奏してくださいと指定があったことがあります。

尺八を吹く多くの人は1尺八寸管で事足りると考えるわけですが、作曲者の意図した基本音はあるようです。

話を「荒城の月」に戻しますが、結局ロ短調の「荒城の月」は忘れ去られ大正、昭和、平成、令和と長きにわたって編曲されたニ短調で演奏されています。そして滝廉太郎作曲と表記されています。それは誤りです。山田耕作編曲と記載すべきではないかと思います。

 

 

 

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邦楽の正体

Youtubeの第一回「邦楽は純正律」といったが、これには少しだけ訳がある。

この狙いは、邦楽器で演奏するものが、音律を考えずに合奏している例が多く、平均律楽器であるピアノとの合奏をなんのためらいもなく行っていたからである。

まずは、平均律とは正反対になる純正律を持ち出し、和楽器の平均律演奏を思い留ませようと試みたものである。

厳密に言えばピアノとの合奏だけでなく、平均律で和楽器の演奏をしている人に対しても強く注意を促したかったが、そこまですると敵が多くなり、和楽器奏者自体も少なくなってしまう危惧があった。それ故、純正律とぼかした表現としている。

邦楽の本来の音は洋楽純正律とは異なる。

日本の邦楽の音律は東洋律と呼ばれるものであり、唐楽を基礎に改良された音律である。8度(オクターブ)、完全5度、完全4度においては洋楽純正律と同じだが、長三度と短三度は洋楽純正律とは異なる

 

洋楽式純正律はイギリスの音響学者エリスの「音程の主観的の値をすべて100倍にして8度を1200と定める」ことから始まる。「セントとは実質上log10 2が1200に等しい対数関係である」「セント値とは、それに対比する振動数比率の常用対数に正比例する」と定義される。

log10 2=1200セントとすれば

単位1=1200÷log10 2=3986.3136セント

この数値は、振動数比をセント値に変換する場合の乗数となる。

したがって、3:2は次のように変換することができる。

log101.5=3986.3136×log101.5セント=3986.3136×0.17609=701.953セント

 

東洋律(東洋式純正律)は三分損益法による音律である。三分損一と四分損一によって完全4度、完全5度を求める方法で、順八逆六法とも言っている。

この応用で五段音階を作り、更に七段音階を作り、最終的には12律音階をつくるものである。

 

 

 

 

 

東洋律の定義が明確でないので、西洋純正律と日本純正律という言葉を新設すれば音程値は以下の通りとなる。

 

日本の純正律は壱越(イチコツ)洋楽のD音相当を基準として求められている。完全5度、完全4度の上下で求めている。西洋純正律のセント値が出ているので、702、498を充てはめ数値を導き出している。オクターブは+24、長三度は+22、短三度は-22の差がある。

日本の純正律は長三度、単三度において西洋純正律とは異なり、不完全協和音とはならない。

これが、鎌倉時代より伝わっている邦楽の音律の正体である。

 

そして、中国伝来の普化宗尺八や蘆庵によって持ち込まれた一節切は唐楽の中国式三分損益法による調律であるから日本純正律とは完全4度や短三度が24セント高い楽器であることも推測できる。明治時代に尺八を改良し日本の純正律に合わせたと言える。これが琴古流尺八の音律の正体である。

 

(訂正)

上記の表中 中国式平均律の表と東洋律の表の左側第1欄の洋名標記が「C」から始まっていますが「D」からの誤りです。

東洋律を古律と表記を改め2つ目の図は次のようになります。

 

 

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楽譜の話

昨日Youtubeに「琴古流と都山流の違い」について投稿してふと思い出したことを書いておく。

右は波に千鳥の表紙の竹盟社の楽譜。隣は青木鈴慕先生のところで使っている楽譜だと思ったが、自信がなくコメントしたところをカットした。

著作者は「東京竹友社編纂部」となっていた。発行日は昭和4年6月24日のものである。

実は五郎先生が生前、「今、楽譜はたくさんの種類が出ているが親父(四郎先生)の時代に楽譜を作ろうと青木先生や川瀬先生等集まっていろいろやっていた。それが今の竹盟社の前進である。その後、各社中が楽譜を出すようになって集まっていた人達がばらばらになっていった」というような内容だった。なぜばらばらになったのかまでは聞けなかったが、恐らく、琴古流尺八は外曲において定まった楽譜もないから、各自が外曲を研究していたのだろう。個性的な表現も数多く発表されていたに違いない。その研究成果が様々な楽譜の登場となったのかもしれない。

 

 

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中井猛先生の原稿「曲」

中井猛先生は東京芸術大学音楽部邦楽科講師を勤められ、地唄筝曲研究をされていらっしゃいました。

お亡くなりになられてから8年くらいになります。

昨年暮れにお箏の先生から中井先生の原稿らしきものをいただきました。中井先生と酒を酌み交わし邦楽談義を十数年させていただいたご縁もあり投稿させていただきます。

題は「曲」

地唄の曲名について記載がされています。

 

下の画面をクリックしてください。画面が大きくなります。

 

私が知っている曲は100数十曲しかありませんでした。

200曲以上を知っておられる通人は日本に何人いらっしゃるのでしょうか。

 

 

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YouTube UPしました。今回のお題は「尺八の歴史考察」

初回は「邦楽は純正律」で短いものでしたが、今回の「尺八の歴史考察」長編になりました。

当初の原稿は15分くらいだったのですが、原稿チェックで10数回追加訂正を繰り返し、全然違うものができました。

内容的には、本来「正倉院尺八」「法隆寺尺八」を最初に持ってこなければならなかったのですが、法隆寺尺八を調べていくうちに「聖徳太子が吹かれたとする」には尺八の年代が正倉院御物の百済義慈王から送られた尺八よりも年代が新しいという事でした。それと、「聖徳太子が蘇莫者という曲を吹かれた」とする後世の書物があるのですが、鎌倉時代や江戸時代のもので口伝を書き記したものではないかと怪しんだところです。

朝鮮の編纂した「三国史記」の新羅楽の蘇莫者が記載されているとありました。新羅楽において蘇莫者がいつできたかもわかりません。何しろ「三国史記」は1145年に編纂されたものです。聖徳太子の時代に蘇莫者があったことすら確定しない中で、聖徳太子がその曲を新羅人に習らわなければ吹けないはずで、そんな環境にあったのだろうかという事です。聖徳太子のAD574-622年朝鮮半島では百済・新羅・高麗が戦をしていた時代です。

疑問は尽きませんが、そんな疑問と楽しく過ごせるのも尺八を続けているからだと思っています。

 

 

 

 

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明治が求めた日本音楽と課題

明治以降に西洋音楽がとりいれられ、現在はほとんどが西洋音楽の影響を受けております。

実は明治政府が西洋音楽を取り入れるにあたって、音楽取調掛の伊沢修三という人が当時の文部省に次のようなことを「見込書」に書いて提出しています。

  • 東西二洋の音楽を折衷して新曲を作る事。
  • 将来国楽を興すべき人物を養成する事。
  • 諸学校に音楽を実施する事。

この見込書というのは答申書や意見書の類で、明治政府から西洋音楽の調査をしなさいと命令を受けた音楽取調掛の伊沢さんが海外へ行って戻ってきたときに、日本には音楽教育というものがないことに気づき政府に対して見込書を出したわけです。

これによって音楽取調掛はのちに東京音楽学校(現在の東京芸術大学の前身)となり、様々な音楽家を集めて日本の音楽教育が始まったわけです。そして文部省唱歌が出来上がり明治時代から現在の学校音楽教育に至っているわけです。

昭和時代後半になって西洋音楽中心の音楽の教科書に筝曲や尺八の頁が加わり、平成になって和楽器に触れる授業を行うようになってきました。

ところが、学校教育の音楽の先生方のほとんどが邦楽を知らない。

お箏の調弦をするのにピアノで合わせたりしたという話がありました。

現在のピアノが平均律楽器であり、邦楽が純正律で出来上がっているという認識がない。これは今の文部科学省のお役人さんも同じなのかもしれません。日本の音楽教育のために学校にピアノを設置したことにより日本の音楽教育は無意識のうちに平均律にしてしまったのです。

学習指導要領では「器楽の指導については,指導上の必要に応じて和楽器,弦楽器,管楽器,打楽器,鍵盤楽器,電子楽器及び世界の諸民族の楽器を適宜用いること。なお,和楽器の指導については,3学年間を通じて1種類以上の楽器の表現活動を通して,生徒が我が国や郷土の伝統音楽のよさを味わうことができるよう工夫すること。」となっています。

しかし、ここでも純正律と平均律の区別がないわけです。

和楽器を使って平均律で表現活動をしたのでは我が国や郷土の伝統音楽の良さを味わうことはできないと私は思います。もちろん、この学習指導要綱には私のような意見をかわす文言が盛り込まれております。

最後の「伝統音楽のよさを味わうことができるよう工夫する事。」つまり、「工夫する事」に集約されるわけです。これでは音楽教育の現場の先生方は頭をかかえてしまうのではと思います。

日本の音楽教育は明治政府に対して提出された伊沢修三の見込書とは全く違った方向へ向かい現在に至っていると思います。

明治、大正、昭和、平成、令和と時代が流れ昭和時代の宮城道雄先生の新日本音楽あたりまでが伊沢修三の意図したものだったように思います。

現在の日本の邦楽衰退は文明開化に酔いしれた自称インテリらにはじまる西洋音楽至上主義に染められたままの状態です。

それを打破することができるのは東京芸術大学を卒業されて音楽家となられた方々ではないかと思います。

それは伊沢修三の見込書に書かれた課題を達成するために専門教育をされてきているからです。

まずは日本の音楽教育現場の混乱をなくすこと。その潜流である西洋音楽至上主義の「至上主義」を切り崩すことが当面の課題かもしれません。

邦楽の衰退を憂う者としては芸大卒業生らへ大きな期待を寄せているところです。

 

 

 

 

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