昨日Youtubeに「琴古流と都山流の違い」について投稿してふと思い出したことを書いておく。
右は波に千鳥の表紙の竹盟社の楽譜。隣は青木鈴慕先生のところで使っている楽譜だと思ったが、自信がなくコメントしたところをカットした。
著作者は「東京竹友社編纂部」となっていた。発行日は昭和4年6月24日のものである。
実は五郎先生が生前、「今、楽譜はたくさんの種類が出ているが親父(四郎先生)の時代に楽譜を作ろうと青木先生や川瀬先生等集まっていろいろやっていた。それが今の竹盟社の前進である。その後、各社中が楽譜を出すようになって集まっていた人達がばらばらになっていった」というような内容だった。なぜばらばらになったのかまでは聞けなかったが、恐らく、琴古流尺八は外曲において定まった楽譜もないから、各自が外曲を研究していたのだろう。個性的な表現も数多く発表されていたに違いない。その研究成果が様々な楽譜の登場となったのかもしれない。